稲村ケ崎 新田義貞さんの伝説 と 伏龍の基地

また、江ノ電に乗ってきました。
伏龍の基地だった場所が、稲村ケ崎ってところにあると聞いたので
行ってみたいと思ったんですよね。

前に、江ノ電に乗った時は、すっかり忘れていました。



今回は忘れずに、見に行くことが出来ました。
この稲村ケ崎って、太平記に出て来る場所でもあったのですね??

鎌倉に攻め上る時にこの岬が邪魔で、海を渡っていくか
山側を登って行くかの二通りになるのですが
海側には浅瀬が無く、大軍が移動するのは無理な状況
山側には鎌倉の防御が固く、攻め込むには犠牲が必要でした。

そこで新田義貞さんが、神に祈りながら、刀を海に流すと
翌日には、海の水が引き、大軍が行進できる道が出来
海に居た鎌倉方の水軍の船は沖合に流されてしまい
大した争いもなく、鎌倉側に攻め込むことが出来たという
伝説の場所でした。

そんな事を書いて居る石碑も有ったのですが
長い事塩水にさらされていたからですかね??文字がほとんど読めませんでした。

また、江ノ電の駅の近くには、この伝説の新田義貞さんが祈る前に
鎌倉方面に攻め入って、犠牲になられた方の石碑もありました。

そうですよね。ほんとに、歴史に残るような戦でしたでしょうから
色々な物語があるんでしょうね!!

さて、それらを見てから、伏龍の基地を見に行こうとしたのですが
その基地の後やトーチカの後を見ることが出来るという
水際まで行ったのですが、サンダルで行っていたのです。

一歩目で滑ってしまって、怖くなり、水際まで行くことを諦めてしまいました。
この岩場の先まで行くと、基地跡やトーチカ跡を見ることが
出来ると言う事だったのです。が、残念ですねぇ。

今度、訪問するときは、しっかりした靴など、滑り止めをして
見学に挑みたいと思います。

ちなみに、この伏龍という兵器は、簡単に言うと、潜水服です。
大変用戦争末期に、本土に上陸しようとしてくる敵の船を
懐中にて待ち伏せし、棒の先に設置している機雷を直接
その船にぶつけるという、ある意味、特攻兵器です。

訓練中に事故が多発したことと、水中での機動性があまりなく
ほんとに、船が頭上を通った時にだけ攻撃が出来るという
効率の悪さで、実際の戦闘には使われたことが無かったようです。

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