大阪城を昭和の史跡として回ってみました

さてさて、昨日の記事に続いて、大阪城を歩いて見たいと思い
昭和の戦跡としての大阪城を歩いて見ました。



大阪城公園駅から反時計廻りに大阪城をぐるっと回ってみましたよ。

この環状線、大阪城公園駅の周りだけ高架ではありません。
戦前・戦中は東洋一の兵器工場が有ったのです。「大阪陸軍造兵廠」と言います。
兵器工場という事で軍事機密の塊です。高架にして覗ける様にするなんて出来ません。
高架にしないし通過中はカーテンを閉めていたって言う文章も見た事あります。

大阪城ホールにこの「大阪陸軍造兵廠」が有ったという碑が建っていました。

そして、この大阪城ホールの裏手には荷揚げ用に作られた水門が有ります。
大阪城ホール側の岸は埋め立てられてしまって当時の面影はないのですが
対岸から見ると水門!!って形を見ることが出来ます。

そのまま、京橋口の方へ歩いていくと今度は左手の道端に鉄の塊が転がっています。
転がっていますという表現をしていますが、大きいです。
溶鉱炉跡って言う噂です。本当なのかどうか
どうやって確認したら良いんでしょうか??

そして、そのまま、道なりに進むと右手に煉瓦造りの「化学分析所」跡が出てきます。
結構、立派な建物で見とれてしまうと思います。ほんと、煉瓦の模様も綺麗で
良い感じに歴史感たっぷりです。

その対面の小さな煉瓦造りの建物が「守衛舎」跡と言われています。
この先の道路に面している部分が「正門」になりますので
守衛さんがいてもおかしくないと思います。

ただ、この「守衛舎」結構崩れています。早く保存対応して頂きたいですね。

「化学分析所」の方は有名な方の設計という事が判明しているので
このまま、保存されると思うのですが、どうなんでしょうね??
大阪城ホールを作った時みたいにあっという間に壊してしまうかもしれませんね。

さて、この京橋口から天守閣の方へ登っていくと石垣に傷がある所に出ます。
ここが機銃掃射の跡になるんですが、完全に天守閣方面に向かう階段の横になり
看板も観光客から見えない様に設置してあるため、ほとんど気が付いて貰えない状況です。
と言いますか、ここの階段何時からスロープになったんだろう??

今の時代を反映させることは必要なんだろうけど、城なのにスロープって
なんだか合わないです。

天守閣の部分まで上がってくると、エレベータと対角線上の石垣に注意です。
1トン爆弾の直撃を受けてずれてしまった石垣を見ること出来ます。
石垣に対して正面から見ると全く判らない??のですが
下から見上げる事でずれていることを確認することが出来ます。

そして、この天守閣の隣の建物、元「第4師団司令部」跡なんですが
綺麗になってました。防空壕を掘ったために陥没した石垣も
綺麗に現代風の石垣に変わっていました。

多分、防空壕も埋められてしまっているんでしょうね。

さて、この新しくなってしまった建物ですが、見どころは結構ありました
建物の中身も綺麗になっているのです。結構、当時の面影を残していたので
予想に反して喜んでしまいました。見とれてしまうと思います。

スロープに手摺とかは、やはり、時代に合わせるには必要なんでしょうね。

そして、この建物の横にある空堀を見下ろすと「防空壕」跡が見えます。
これは冬に来た時だけに見ることが出来ると思います。
夏は草が生えていて若干見えにくいと思いますよ。

そして、このまま天守閣から離れていくと、堀の中に太いパイプが見えてくると思います。
これが戦中作の水道管です。立派なものです。

そして、その先にも煉瓦造りの塀が見えてきます。
門の部分が立派なのと煉瓦の色からして、この塀も何かの以降の気がするのですが
何の跡なのかが判りません。もっと、調べる必要がありそうです。

そして、最後になりますが、バスの駐車場の隅に「射撃場」跡の碑が
ひっそりと建っています。ほんと、ひっそり。

今回はここまでにしました。
大阪城公園の外にはまだまだ「第4師団」配下の騎馬隊、歩兵連隊などの
建物跡や戦車坂とか呼ばれる道などが残っています。

一日でこれらを廻ろうとすると結構なハイペースで回らないの駄目なので
今回はここまでです。今後、チャンスを見て回っていきたいと思います。

これから、梅・桜の季節になります。

戦国時代の事を考えるのも大事ですけど、ちょっと昔の事も考えるのも
良いのではないでしょうか??


大阪戦争モノ語り―街かどの「戦跡」をたずねて

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