徳川道 西国往還付替道 始点に行ってみました

徳川道の始点を見に行って来ました。

場所は、何度も動画にしている阪神電鉄・石屋川駅傍でした。
そこに木の板??で出来た説明看板がありました。

以前、火垂るの墓の舞台と言う事で、この駅を訪問した時に
この看板には気が付いていたんですけど
ゴミ出しか何かの説明文と思っていたんですよ。



まさか、徳川道の説明文とは思いませんでした。
もっと、近寄って読んでいれば気が付いたんですけどね。
同じ駅にこう何度も、違う動画ネタで訪問するとは思いませんでした。

こことは別に、石屋川を上流に登って行ったところにある公園にも
石碑があると言う事で見に行って見ましたが、これは、ほんとの公園の入り口に
ちょろっとある看板でした。

もうちょっと、歴史的な説明文があると思っていたのですが
全くなく、ちょっとがっかりです。

その代わりに、この山側にある六甲山のハイキング道を歩くと
説明文やそのころの石垣などがあると言う事でした。

天王山ハイキングコースを途中であきらめた経験がありますので
今回はハイキングコースに入ることを諦めました。

帰りには、阪神電鉄を使わす、訪問した公園からは阪急電鉄の駅の方が近いと言う事で
阪急電鉄を使用し、帰宅しました。

こういう時にはGPSが便利ですね。
昔なら間違いなく、来た道を戻っていたと思います。

さて、この徳川道、正式名がありまして、西国往還付替道と言います。
横浜で起こった生麦事件のような異国人と参勤交代が接触しないように
神戸開港を見据えて、西国街道を山側に逸れる迂回路の事を言います。

完成が王政復古の2日前、当然、その翌年には鳥羽伏見の戦いが始まり
幕府が倒されてしまいます。そして、参勤交代も無くなります。

ただし、新政府に呼び出された備前岡山藩が、この道の存在を知らずに
呼び出しに応じる形で西国街道を進んでしまいます。

当然、神戸で英国水兵と交錯。

前を横切ったと言う事で取り調べを受けることになりますが。突如、交戦。
神戸事件が起こってしまいます。この備前岡山藩の後続は
徳川道を使用し、難を逃れております。

その道が、今、ハイキング道となって整備??公開されて、徳川道となっております。
いつか、このハイキング道も歩いてみたいと思っていますが
いかんせん、体力が無く、今は無理。ほんと、電車などで見る
ご高齢のハイキング姿を見ると感心してしまいます。

あの年で山を登るって、凄いですよね!!

六甲山には、まだまだ、歴史的に見ても面白そうなものがありそうなので
調べていきたいと思います。ほんと、近くなのに今まで知らなかったです。
この徳川道。神戸事件は知っていましたけどね。リアルに歴史を感じます。

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