笠間藩の大石邸跡を見に行ってきました

笠間にある大石家屋敷の跡地に行ってきました。
水戸線の笠間駅側にそれはありました。

笠間城跡に歩いていくと、立派な整備された場所と銅像がありました。



赤穂浪士や忠臣蔵と言えば、兵庫の赤穂なんですけど
国替えを行われる前は、浅野家は笠間藩だったんですね!!

その国変えから約50年後に事件は起こるのですが
この笠間藩から3名も討ち入りに参加しています。

まぁ、赤穂藩となってからも仕えていたと言えば
仕えていたんですけども。。。

吉田忠左衛門さん、小野寺十内さん、堀部弥兵衛さんの三人ですね。
浅野家って25年この笠間藩を治めていて
その後、50年、赤穂藩を治めていたみたいなんですが
50年後の事件に3人も参加するって
よっぽど良い主君さんだったんでしょうね!!

この堀部弥兵衛さん、私は若い頃、堀部安兵衛さんとの違いが
良く判っていなかったのを思い出します。

弥兵衛さんが、高田馬場の決闘で、江戸中に名前の知れた安兵衛さんを
娘の婿さんにしようと奔走し、実現したって事で
同じような名前の親子さんが出来てしまったんですよね?

そして、事件後、同じように泉岳寺に葬られているんですか。



なんか、いろんな関係のある場所に行っていると
初めは、好きなドラマであって、その後は、ちょっと、所詮作り話って
思っていた時期もあったんですが、実際に起こった事件だったんだなって
感動するようになってしまいました。

なので、安兵衛さんも赤穂出身ではないんですよねぇ。
ほんと、47人の方が参加していてても、赤穂由来の人でない人も参加しているし
赤穂出身の人でも参加していなかったりして、人それぞれ
考えや行動があるんだなって思います。

この辺の人間関係などは、いろんな人がブログって形で書いていただいてますので
そちらの方で読んでみてください。私なんて、ほんと、にわかファンです。
書いて居る事にも多くの間違いがあるかもしれません。
しっかりとした勉強をこれからも行っていきたいと思います。



コロナの騒ぎが無かったら、もっと、いろいろ東京も廻りたかったのですが
ちょっと、残念ですね。今度、関東に行き事があり、ウィルス騒ぎが収まって居たら
東京の江戸城松の廊下とかも、見に行きたいですね!!



もし、これらの動画を良いなって思って頂けたら
いいねボタンを押したり、チャンネル登録をお願いします。
動画作成の励みになります。よろしくお願いします。




この記事へのコメント

スポンサードリンク