書かせていただきます。
まずは、お墓参りに行ってきました。
常磐線の龍ヶ崎駅下車ののち、ちょっと歩いたお寺の中にありました。
本堂の裏手の林の中にあり、よくある、他の一般のお墓の中に紛れてあるのではなく
一族様??過去のお寺の住職さん達のお墓と一緒に、祭られていました。
神戸で戦に負けて、討ち取られたあと、ここまで戻ってきたんですねぇ。
しっかり、お参りさせていただきました。
この周辺には、坂道に名前が付いて居たり、立派なお寺や神社が他にもあったので
しっかり下調べしてから訪問していれば、もっと、楽しめたのかもしれません。
そして、動画のネタも、もっと一杯作れたのかもしれませんが
今回は、このお墓だけが目的でしたので、お参りするだけで
再び、電車に乗りました。
駅からは、ちょっと歩く事になり、また、上り坂になりますので
訪問するときは、ちょっと、覚悟が必要かもしれません。
もう一か所は、江ノ電の稲村ケ崎駅を下車して
海側に歩いていくと存在している稲村ケ崎です。
鎌倉を攻める時に、山側を行くと、鎌倉側の兵が多く居るので
海を渡って鎌倉側に行くのですが、渡れる土地が少なく
引き潮でも、多くの兵が一気に渡ることが出来ませんでした。
渡ることが出来ても、鎌倉側の船からの矢もあり
なかなか、攻めることが出来ません。
そこで、新田義貞さんが、刀を海に沈めて、神に祈ったところ
海が引き、鎌倉側の船がかなり沖合にまで移動することになり
潮が引いたことにより、多くの兵が一気に鎌倉側に移動することが出来たため
鎌倉を攻め落とすことが出来たという場所です。
太平記で、新田さんが活躍するところでありますよね??
ただ、残念だったのは、ここにある石碑の一つが
コンクリートで作られたものだったのです。
それが、塩??に負けちゃってて、文字の書いてある場所が
ほとんど、はげ落ちてしまっていて、読むことが出来ませんでした。
これだけが、ちょっと、残念でした。
まぁ、文字が残っていたとしても、私に読めたのか??
と聞かれると、怪しい物ですが、出来れば
綺麗に残っていて欲しかったですね!!
そして、この稲村ケ崎ですが、太平洋戦争末期には、伏龍という特攻兵器の
基地として運用されようとしていました。
結局、本土決戦はありませんでしたし、運用上問題が在り過ぎて
実用化は無かったようなのですが、機雷を棒の先に付け
それを、真上を航行した敵の船に向かって当てるという方法を
良く思いついたと思いますね。実用化されずに良かったです。
この基地は、海側にあると言う事で、是非見てみたいと思ったのですが
海に出るところの階段で、すぐに足を滑らしてしまい
とてもじゃないですが、基地の姿が見えると
他の方のブログに書かれていたような岩場まで行く勇気が
湧きませんでした。残念。
サンダルではなく、ちゃんとした靴で行くべきでしたね。
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