平家物語に出てくる場所に行ってきました

神戸電鉄を使って、平家物語に出てくる場所に
行ってきましたよ。



駅名からして鵯越って駅があったので行ってきました。
ちょっと、調べが足りませんで、義経さんが腰掛岩などが
あったんですが、どうも、墓地の中だったのです。

入っていいのかどうなのか。

墓地内を巡回しているバスがあるようでしたが
それも関係者以外は使用できないような看板がありました。

うーん、しばらく、話しかけられそうな人を
探していたんですが、どうも、お仕事中みたいで
叶いませんでした。

ちょっと、見学を諦めてしまいまして
面白くない動画にしてしまいました。

もう一つは、平盛俊さんの慰霊碑?塚を見てきました。



ウィキペディア(Wikipedia)から
寿永3年(1184年)2月5日
三草山の戦いで資盛が敗退すると
宗盛は山の手に増援として通盛・教経を向かわせて
北の守備も固めた。
2月7日の一ノ谷の戦いで平氏軍は全ての防衛線を突破された。
盛俊はもう逃げてもかなわぬと馬を止めて敵を待っていると
源氏方で鹿の角の「一、二の枝」を
簡単に引き裂くほどの剛の者猪俣範綱が駆けてくる。
腕力に自信があった両者は組討をして地面に落ち
範綱が組み敷かれてしまう。
首を斬られかかった範綱は、盛俊の名を尋ね聞いて
さらに「命を助けてくれるなら
貴方の一族を自分の恩賞と引き換えに助けよう」と命乞いを始める。
それに盛俊は怒り
「盛俊は不肖なりとも平家の一門、源氏を頼ろうとは思わない」と
範綱の首に刃を立てようとしたところ
範綱に「降伏した者の首を掻くのか」と言われて
押さえ込んでいた範綱を放してやる。
二人があぜ道に腰を下ろしていると
人見の四郎という源氏方の武者が駆け寄って来て
それに気をとられた盛俊は範綱に不意に胸を突かれて
深い田んぼの中に倒されてしまう。
泥濘で身体の自由が利かない盛俊は
このような騙し討ちによって範綱に首を取られてしまった。

だまし討ちですよ。平家物語って探していると
こんなのが多いですよねぇ。
美談ばかりとはじめは思っていました。

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