堺台場跡を探しに行ってみました

堺台場跡に行ってみました。
というても調査がしっかり出来ていなくて
台場跡みたいな場所に行ってみた。
になっているんですけどね。

場所は、南海電鉄の堺駅を出て
海側に歩いていくとある
大浜公園って場所です。

堺駅からは看板が出ていますので
その通りに行くとたどり着くことが
出来ると思います。

私のようにショートカット出来るだろうとか思って
勝手に道を逸れてしまうと
遠回りになってしまうのではないでしょうか??
私はなってしまいました。素直に看板に従いましょう!!



動画にあるように、港に着いた時から
工事中の立て看板や黄色い仕切り??立ち入り禁止の
表示が気になっていたんですが
その通りになってしまいました。

大浜公園に入って、土塁のような山の上を歩いたんですが
帰宅してから調べてみても
土塁についての記述が無いんですよね。
もしかしたら、台場跡ではないところを
見てしまったのかもしれません。

一応、石垣が有るみたいな場所も聞いたんですが
工事中で入る事が出来ませんでした。

ウィキペディアの記述を残しておきます。

堺台場跡(さかいだいばあと)は
大阪府堺市堺区大浜北町および
北波止町にある台場跡である。
堺台場は旧堺港の南北に築かれ
南台場
(北緯34度34分56.6秒
 東経135度27分40.7秒)が
現在の大浜公園内
北台場
(北緯34度35分2.5秒
 東経135度27分39.9秒)が
現在の大浜北公園内にあった。

南台場は造築当初は南北約360m
東西最大約183mの方形型であったが
南北295m、東西195mの規模を有す
稜堡式台場に改築された。
改修後は北・西・南側は石垣で囲み
南北に堀を設けて、大砲18門を備えていた。
南台場について描かれている
堺浦両御台場絵図が残る。
北台場は南北約90m、東西約70mのコの
字型の土塁を有し
36貫目の臼砲(モルチール砲)
大砲8門を備えていた。
北台場について描かれている
安政2年の堺御台場之図が残る。
南・北両方の台場について描かれている
堺御台場之図も堺図書館に残る。

安政元年9月に築造された大波止堤に
大鉄砲台場に2箇所(後の南台場)
小波止堤に1箇所(後の北台場)が
原型である。
当初は汐除けとして浜手に
築いてあった台場を
再利用したものに過ぎず
これを基に増築・改修が繰り返し行われた。
工期の詳細な記録は残されていないが
北台場は安政元年に着工され翌年に完成
南台場は安政5年頃には
竣工したと推測されている。
南台場の改築は
堺警備を担った彦根藩によって
元治元年6月頃から開始され
彦根藩退役後は堺奉行に引き継がれ
慶応2年正月に完成した。
南北の台場は明治に入ると
兵部省(のち陸軍省)の所管となり
明治23年に堺市へ移管された。
南台場は陸軍省所管時代の明治12年に
堺県によって大浜公園として整備され
北台場も明治40年に堺市によって
大浜北公園として整備された。
現在では公園内に
石垣や掘の一部が残されている。

ね。石垣や堀の記述はあるんですが
土塁には触れていないのです。
他の訪問記事とか見てもないんですよね。
はぁ、また、ちゃんと調べてから見に行きます。

この公園にはお猿さんが居ました。
これには驚きましたが、散策に疲れていたところに
癒しになりましたよ。

そして、ラジオ塔のレプリカ。
街頭テレビってのは知っていましたが
ラジオもこんな感じで外で聞くことが
出来るようになっていたんですね。
自分の中では発見でしたよ。散策してよかった!!

石垣の場所も聞いていってみたのですが
工事中で入る事が出来ませんでした。

そして、対岸にあるはずの北台場にも行ってみたのですが
残念ながら工事中で入る事が出来ませんでした。

龍女神像や幕末の堺港を語る標柱石なんてものは
見つける事が出来ましたので
まぁ、散策して無駄でしたって事にはならなくて
良かったと思います。

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