マクロス放送40周年マクロス展に行ってきました

手塚治虫記念館に行ってきました。
マクロス放送40周年記念のマクロス展が
7月1日から始まっています。

前回初めてこの手塚治虫記念館を訪問した時も
マクロス展だったんですよね。
なんか、マクロスとの縁を感じます。



今回のこの企画展、日替わりのステッカー配布なんかが有って
通ってしまう感じがしてしまって
現在、恐怖を感じています。
好きなキャラのステッカーを集めてしまいそうだもんなぁ。



さて、企画展の開催されている二階に登ると
マクロス艦が20分に一回変形する
デモが行われていました。

この模型、塗装されていない真っ白なんですが
後ろに置かれているモニターの演出もあって
色々なシーンが思い出されますよ。

はぁ、懐かしい。40年ですもんね。
私が10歳の時に放送されて、現在も人気があるって
凄いアニメーションですよね!!

そのマクロス艦のお出迎えが終わりますと
今までの歴代マクロスの紹介コーナーでした。
各マクロスのストーリーを確認しながら
廻る事が出来ましたし、そういえば
ちゃんとキャラの関係が繋がって行ってるんだなって
確認しながら見学することが出来ました。

あんまり集中してみて回っちゃうと
全てのマクロスを見直してしまうんじゃないかな??って
自分の行動が恐ろしくなりましたよ。

そうそう、この話を見てた時は
こんなことしてたなぁって
自分の生い立ちを振り返る事も出来ました。
凄いですね、40年って!!

そして、その後はVFシリーズの展示ですよ。
動画を見て頂いても判る通り
ここだけ撮影OKだったんですよ。
もしかしたら、バンダイさんの宣伝にもなるからかな??
こんなにバリエーションがあったのか!!
なんて感心しながら見てましたけど
ここだけ人が集まっちゃうんですよね。
撮影可能だから、時間を掛けて皆さん同じように
全ての展示を写真に収めてますしね!!

なので、急いで撮影して、急いで移動して
また、自分の世界に入ったりしてね。

有意義に時間を使う事出来ましたよ。

また、この手塚治虫記念館を出てからも
飲食店とコラボしていて、マクロスに関係ある感じの
食べ物を提供していたりするので
宝塚で十分、一日遊ぶことが出来そうですよ。

また、懲りずに行きそうなので
また、その時は、動画にしたり
記事にしたりするかもしれません。

そうそう、残念だったのが関連グッズで
マクロス艦ブリッジのマグカップって言うのが
あったのですが、売り切れでした。

手塚治虫記念館のWebでも在庫をお知らせしているそうなので
グッズ目的の方が居られましたら、チェックして訪問するのが
良いかと思われます。

ただ、マグカップって現在、入荷未定になっているんですけどね。

さて、この記事で紹介している動画が
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2022年7月11日 追記

さて、また、手塚治虫記念館に行ってきましたよ。
なんと、マクロス艦ブリッジのマグカップが
在庫ありましたよぉって、私の動画を見た人から
連絡があったのです。



慌てて、手塚治虫記念館のホームページで確認して
購入しに行ってきました。

ついでに、入館時のステッカーは
ミンメイちゃんでしたので
タイミング良かったですよ。

持って帰っている途中で、このステッカーは
折れてしまったのが失敗でしたけど
これからは、クリアファイルを
持っていく事にします。

しかし、週末は、入場制限が
発生するぐらいの混雑のようです。
私は暑い中待っているのが嫌だったので
以前お食事させて頂いた
コラボメニューしているお店で
VFのプロマイドを貰ってきました。

帰りにも珈琲を飲んでプロマイドを貰おうと
珈琲のお店に行こうとしたんですが
場所を間違えてしまいました。

花の道沿いにあると思っていたのですが
どうも、国道176号線沿いみたいです。
今度また、再挑戦してみたいと思います。

暑い中、花の道をうろうろしちゃいましたよ。

さて、そして、今回は宝塚大劇場の
敷地内にあるという
宝塚海軍航空隊の石碑も見に行ってきました。
休校中に日本軍に使用されていたというのは
知っていたのですが、石碑があるとは
思っていませんでした。

確かに、近くには??鳴尾飛行場とかがありますから
日本軍の施設が有ってもおかしくないのですが
石碑があるとは思っていませんでした。

しかし、飛行士を目指していたのに
最後が回天というのも悲しいお話ですよね。

ウィキペディアから抜粋します。

宝塚海軍航空隊及び
その前身組織・滋賀海軍航空隊宝塚分遣隊は
日本海軍の部隊・教育機関の一つ。
一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を
教育するために新設された予科練教育航空隊である。
戦時統制の中で活動自粛・閉鎖に追い込まれた
宝塚歌劇団の本拠地宝塚大劇場を借り受け
校舎・宿舎に充てて教育・訓練を施した。

沿革
1944(昭和19)年8月15日 
兵庫県川辺郡小浜村の宝塚大劇場を接収し
滋賀海軍航空隊宝塚分遣隊発足。
第13期後期(奈良分遣隊入隊)
第14期前期の一部転入。
1944(昭和19)年9月1日 
卒業生の飛行練習課程凍結。回天要員募集開始。
1944(昭和19)年11月28日
 甲飛第15期(奈良分遣隊入隊者)転入。
1945(昭和20)年3月1日 
独立、「宝塚海軍航空隊」開隊。
大阪警備府隷下第24連合航空隊。
甲飛第15期前期の一部(西宮分遣隊)より転入。
1945(昭和20)年4月1日 
甲飛第16期入隊(最後の予科練生)。
1945(昭和20)年6月1日 
予科練教育凍結。
航空特攻要員は滋賀海軍航空隊へ転出。
1945(昭和20)年6月30日解隊
かろうじて甲飛第13期の卒業は果たしたものの
その多くは回天搭乗員に振り向けられ
パイロットへの志望が認められた者は僅かだった。
解隊後の生徒は紀淡海峡の要塞構築作業に従事した。
8月2日の作業では、生徒を乗せた汽帆船が
鳴門海峡で撃沈され、82名が戦死している。
1965年(昭和40年)、淡路島の鎧崎に
慰霊碑を建立した際、宝塚音楽学校生徒10名が
招待された。元隊員の「荒鷲の歌」斉唱に対し
歌劇団の代表曲「すみれの花」を唱和し、慰霊した。
脚本家の新藤兼人は海兵団へ入団後
徴用した建物を掃除する要員に任命され
天理教の信者詰所(海軍飛行予科練習生用)に続き
宝塚大劇場の掃除を行った。
後にこの記憶を元に『陸に上った軍艦』(山本保博監督)
の脚本を執筆している。

とのことです。

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