現在の山陽電鉄の高砂駅の側に
国鉄の高砂線跡が遊歩道になっていると聞き
見に行ってみました。
山陽電鉄の高砂駅を南側に出て
右側に歩いていくと
すぐに遊歩道と判る道が見えました。
この遊歩道を歩いていくとすぐに
右側に信号と転轍機操作てこの
モニュメントがありました。
一度、通り過ぎてしまったんですけど
グーグルマップさんのおかげで
見つける事が出来ましたよ。
遊歩道というには、自転車が多くて
ちょっと歩くのは怖かったですよ。
ただ、遊歩道って言うには立派な緑に囲まれて
退屈することは無かったです。
この二つのモニュメントが有る場所から
更に南に下って行くと
高砂駅跡のモニュメントが見えてきました。
ロータリーになっているんですね??
なんか、不思議な遊歩道・自動車道の終わり方でしたよ。
なにかの施設が近くにあるんでしょうかね??
ちょっと、車道に出てぐるっとモニュメントを
撮影してしまいました。
この高砂線って、先に動画にした尾上駅跡とも
繋がっているんですね。
ここにその時の動画も載せておきます。
この時は、戦争遺跡巡りをしたついでだったんですけどね。
ここに繋がるとは思いませんでした。
高砂線について、ちょっと、ウィキペディアから
抜粋しておきます。
高砂線(たかさごせん)は
かつて兵庫県加古川市の加古川駅から
同県高砂市の高砂駅までを結んでいた
日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。
1980年(昭和55年)の国鉄再建法の施行により
第1次特定地方交通線に指定され
1984年(昭和59年)12月1日に全線が廃止された。
概要
加古川の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が
舟運の物資集散地であった高砂と
流域各地を結ぶ路線として開通させ
その後も貨物輸送を中心とした輸送体系が続いた。
戦後は沿線に国鉄高砂工場も置かれ
貨物列車に加えて工場入出場のための回送列車も
設定されており、高砂市中心部に乗り入れていたものの
旅客列車は運転本数が少なかった(最末期は日中2時間間隔)。
そのため旅客需要は神戸や姫路方面への直通電車を
頻繁に運転する山陽電気鉄道や
加古川と行き来する便数が比較的多かった
(当時日中30分間隔
尾上駅南方の大崎停留所 - 加古川駅間は15分間隔)
神姫バスの利用がほとんどで
高砂線の利用者は定期運賃の安さから高校生が中心となっていた。
国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定された後も
高砂工場の存在や沿線人口の多さから楽観視されていたが
高砂工場の閉鎖が決まり、また尾上 - 高砂北口間の
第二加古川橋梁の老朽化から第三セクター鉄道への移行は
断念され、廃線となった。
なお、廃止時に列車に取り付けられていた
「さよなら高砂線」のヘッドマークは
現在さいたま市にある鉄道博物館にて展示されている。
とのことです。
おぉ、さいたまにあるんですね!!
今度、埼玉に単身赴任するときには
見に行ってみたいですね!!
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