源平合戦の史跡っぽいところを
散策してきました。
一の谷の合戦が有名ですが
そこに繋がる戦いが
この周辺で行われていたみたいですね。
まずは、木津駅で下車しました。
ここから道なりに進んでいくと
田園風景ののどかな景色が広がるんです。
そして、貯水池みたいなところの側に
それはありました。
木津の磨崖仏
です。
福原から姫路へと続く街道を
平清盛さんが造り、それを利用して
源義経さんが一の谷に向かい
その後、平和な時代に
この街道を利用する人たちの無事を祈願して
彫られたそうです。
思ったよりも上の方にあって
びっくりしました。でも、上の方にあるからこそ
この時代まで残ったのかもしれませんね。
次は、市場駅まで行ってみました。
ここには夜泣きの白拍子さんの祠と
弁慶さんの重ね石という物があります。
市場駅からすぐ傍のところに
夜泣きの白拍子さんの祠はありました。
私が調べていた写真では
木が一本、畑の中に生えていたので
それを目印にしようと思っていたのですが
枯れたんですかね??切り株になっていました。
祠はちゃんとあって、一安心でした。
説明の石碑から奥に入って良いのかわからず
遠くからの撮影になってしまいました。
京都から平家の武者さんを追っかけてきた
白拍子さんですが、逢えないことに落胆し
昼夜を問わず泣き続けて、亡くなってしまいました。
近所の方が不憫に思い、ここに弔ったそうです。
亡くなる前に、泣き声で迷惑をお掛けしました。
今後は子供の面倒を見ますとの言葉を
残していったそうです。
ここに夜泣きの激しいお子さんを連れてくると
ピタッと夜泣きが止まったそうです。
そして、ここから少し歩くのですが
弁慶さんの重ね石というのも見に行ってきました。
ここ、道に看板はあるのですが
山道、藪の中に入らないといけませんでした。
蜘蛛の巣が凄かったので、歩く方は木の棒で
前を探った方が良いかもしれません。
ここは、空腹で困っていた源義経さん一行が
おばあさんに声を掛けて、はったい粉を貰い
満腹になったところで、腹ごなしに弁慶さんが
巨石を投げて重ねていったというところです。
どこからどう投げたんでしょうかねぇ??
確かに重なっていました。ただ、ほんとに
私が見たものであってるのかなぁ??
もっと奥に、本物があるのかもしれません??
そして、最後が三木駅です。
ここからもちょっと歩くのですが
弁慶さんの足跡というのがありました。
ここには、仏さんを彫った石が二つあって
そのうちの一つにくぼみがあって
それが弁慶さんの足跡だそうです。
道沿いには仏さんの姿が見えないようになっていて
ちょっとびっくりしましたが、おかげさまで
すぐにこのくぼみが足跡かぁって
判りましたよ。
近くの古墳には弁慶さんの弁当箱って
物があるようですが、奈良の鬼の雪隠みたいに
石室か何かなんでしょうね??
こんな感じで散策は終了しました。
これからも、平家物語、源平合戦の
史跡巡りを続けていこうと思います。
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