京都地下鉄の鞍馬口駅周辺を散策してきました 後花園天皇火葬塚

京都地下鉄の鞍馬口駅周辺を
散策していると
後花園天皇火葬塚
という物を見つけてしまいました。



大通りに面していて
しかも、ビルに挟まれたような
何か騒がしいところにあったのです。
ちょっと、びっくりしました。

こんな場所にあるんですねぇ。

向かいには、先に記事にした
赤穂浪士遺髪塔跡がありました。

何か騒がしくて申し訳ないって
思いましたよ。

ウィキペディアより抜粋です。

後花園天皇(ごはなぞのてんのう
1419年7月10日〈応永26年6月18日〉
- 1471年1月18日〈文明2年12月27日〉)
は、日本の第102代天皇
(在位:1428年9月7日
〈正長元年7月28日〉-
1464年8月21日〈寛正5年7月19日〉)。
諱は彦仁(ひこひと)。
本来は皇統を継ぐ立場にはなかったが
傍系で三従兄弟にあたる
称光天皇が嗣子を残さず崩御したため
皇位を継いだ。
先帝とは8親等以上離れた続柄での
皇位継承は南北朝合一を除くと
53代(称徳天皇→光仁天皇)以来
658年ぶりであり
かつ南北朝合一時の「明徳の和約」
(皇位は両統迭立とする)にも反するため
旧南朝勢力の激しい反発を招き
以後、約60年にわたって
南朝復興運動(いわゆる「後南朝」)が
繰り広げられる引き金になった。

とのことです。

◆火葬塚 
山形、空堀がある。
この火葬塚は、信憑性が高いといわれている。
天皇は1470年12月27日に
室町殿で亡くなる。
この時、皇室の香華院の泉涌寺が
応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失しており
この地の悲田院で葬礼が行われた。
1471年1月3日、悲田院で火葬される。
1月9日、拾骨され、本堂前に埋骨される。
山茶花が植栽された。
火葬地は土で封じられ植栽された。
2月5日、御骨(歯・仏舎利一粒を加えた骨)は
後花園天皇が親近感を抱いた
常照皇寺(右京区京北町)の
光厳天皇陵の傍にある後山国陵に遷され埋骨される。
分骨所は般舟院陵(上京区)にある。
火葬塚は、かつての火葬場所になる。
古代-中世には、火葬塚も陵墓に
準じるものと考えられていた。
最も格式の高い葬法であり
公式には天皇と近親者に限られていた。
火葬後に遺骨は別の墳墓に納められた。
火葬地の施設を取り除いた後に
土を盛り、石卒都婆を立てた。
釘貫(くぎぬき、木戸)を建て四面に溝を掘った。

とのことです。

なにやら、激動の時代を生きた方なんですね。
応仁の乱の頃って何か疎いんですよね。
これからも嫌がらず
勉強していきたいと思います。

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