田能遺跡に行ってみました

今回は田能遺跡に行ってきました。
伊丹空港の千里川土手から
歩いて行ける場所でした。

以前に動画にしている
千里川土手への行き方という物と
スカイパークへの行き方という
動画を見て頂くと
イメージが湧きやすいと思います。






確かに、途中に看板が
有ったような無かったような。。。

今回、ここに行く気になったのは
何やら、遺跡御朱印見たいな事を
はじめると聞いたので
その対象の一つに入っていたので
どんなものか、見に行ってみようと
思ったのです。



ただ、私が訪問した日は
イベントをしており
私のような怪しいおじさんの相手は
難しそうでした。

ただ、この御朱印のチラシと
メモ帳か御朱印帳みたいなものを
自分で持ち込んで
押すことになるという事は
教えて頂けました。

ほんと、忙しい時に訪問してしまい
申し訳ない気持ちで一杯ですよ。

ただ、何も手持ちに
印鑑を押してもらえるようなものを
持っていなかったので
再訪することになったのは残念です。

確かにネットで調べると
持ち込んだものに押印すると
はっきり書いてありました。
今の時代、ネットで調べてから
訪問するべきですね。
その場で聞いたら良いやって気持ちで
訪問しちゃうと
今回のようになってしまいます。
反省です。

ウィキペディアより
田能遺跡(たのいせき)は
兵庫県尼崎市田能から
伊丹市岩屋にまたがる弥生時代の遺跡。
国の史跡。
1965年(昭和40年)に
尼崎・伊丹・西宮三市共同による
工業用水園田配水場の建設工事中に
大量の弥生土器が発見されたことから
この場所に大規模な弥生時代の遺跡が
あることが判明、調査が開始された。
特に注目されたのが、木棺の発見である。
木は腐りやすいため
それまでは推測でしかなかった
弥生時代の木棺埋葬の風習が
初めて具体的な形で証明された。
第1次調査では、木棺墓から人骨も発見された。
当初は調査後、計画通り配水場建設を進めて
遺跡を破壊する予定だったが
保存運動が高まり、その結果
遺跡の重要な部分を保存することが決定
1969年(昭和44年)6月30日には
国の史跡に指定され
翌1970年(昭和45年7月25日)には
尼崎市立田能資料館として開館した。
高度経済成長期の当時
建設優先の風潮があった中で
このような文化財保護運動は珍しく
先進的な事例だったという。


とのことです。

もし、ここで紹介した動画が良いなと
思われた方が居られましたら
良いねボタンを押したり
チャンネル登録をお願いします。
動画作成の励みになります。
よろしくお願いします。





この記事へのコメント


この記事へのトラックバック

スポンサードリンク