がちゃ WW2戦闘機コレクション 日本機編を頂きました

久しぶりにガチャの動画を作ってみました。
ただ、自分でやったガチャではないのですよ
知人のダブりを譲っていただきました!!
ちょっと、保管期間中に
アンテナが折れちゃったみたいなのが残念です。
ただ、これもゆっくり元に戻そうとしたら
元に戻るかもしれませんね??

今回は、WW2戦闘機コレクション日本機編です。



このシリーズは初めてだと思ったのですが
自分の作った動画で検索してみると
2本ほど動画を作っていましたね。

しかし、疾風では無かったです。



自分でガチャをやったのではないので
お店などで実際にひくシーンは無いですけども
紹介動画を作ってみました。

疾風の資料をウィキペディアより抜粋します。

四式戦闘機(よんしきせんとうき)は
第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。
キ番号(試作名称)はキ84。
愛称は疾風(はやて)。
呼称・略称は四式戦、四戦、キハチヨン
ハチヨン、大東亜決戦機、決戦機など。
連合軍のコードネームはFrank(フランク)。
開発・製造は中島飛行機。
基本設計はオーソドックスな構成ながら
速度、武装、防弾、航続距離、運動性、操縦性を
バランス良く纏め、設計段階で生産性も
考慮された機体である。九七式戦闘機(キ27)
一式戦闘機「隼」(キ43)
二式戦闘機(二式単座戦闘機)「鍾馗」(キ44)
と続いた小山悌技師長を設計主務者とする
中島製戦闘機の集大成とも言える機体である。
特に最高速度はキ84-I乙試作機が
試験飛行の際に高度6,000 mにおいて
660 km/hと大戦中に実用化された
日本製戦闘機の中では最速であり
また戦後のアメリカ軍によるテストでは
高度20,000 ft (6,096 m)にて687 km/h を
記録している(100オクタン/140グレードの
ガソリンとアメリカ製点火プラグを使用し
武装を取り除いた重量7,490 lb (3,397 kg)の状態)。
四式重爆撃機「飛龍」(キ67)とともに
重点生産機に指定され、総生産機数は
基準孔方式の採用など量産にも配慮した設計から
1944年(昭和19年)中頃という
太平洋戦争(大東亜戦争)後期登場の機体ながらも
日本軍戦闘機としては零戦、一式戦に次ぐ約3,500機に及んだ。
帝国陸軍からは戦局を覆す
「大東亜決戦機(大東亜決戦号・決戦機)」
として大いに期待され
大戦後期の主力戦闘機として多数機が
各飛行戦隊といった第一級線の実戦部隊に
配備された。当時の主要戦線の全て
(中国戦線、フィリピン戦線、ビルマ戦線)
および日本本土防空戦に従軍し
対戦したアメリカ軍からも
「The best Japanese fighter
(日本最優秀戦闘機、日本最良戦闘機)」と
評価された機体だったが、整備状況によるものの
搭載した新型エンジンハ45(誉)の不調や
潤滑油・ガソリン(オクタン価)の品質低下
点火プラグやコードなどの電気系統の不良・不足
前線での整備力の低下などにより全体的に稼働率が低く
スペック通りの性能を出すのが難しかった。
さらに、それまでの日本軍戦闘機とは
機体特性が異なるためパイロットには
戦術の転換が必要になるなど
大戦後半に登場した陸海軍機の多くと同様
運用側でも評価の分かれる機体である。

以上です。

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